病院で診察を受けた帰り、優香は俺の腕を引いて近所の公園に
寄り道をした。
そこに植えられた桜の木は、いつ来ても俺たちを感傷的な気分に
させる。
俺が優香と初めて出逢った場所。
そして、”あの日”の誓いを立てた場所…。
つないだ妹の手は、あの時よりもずっと大きくなっている。
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「…タクシーなんて、お金がもったいないでしょ」
病院で診察費を払う時も、優香は同じようにぼやいていた。
正直、小さい頃に両親を亡くした俺たちには、あまりあるほどお金の蓄えはない。
それはお互いに分かっていたし、だからといって毎日を悲観的に生きるなんてこと
もなかった。
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「こんな時ぐらい、気にしなくていいんだよ。そんなこと…」
言ってはみたものの、それで納得する優香じゃないことは分かっている。
こうしたことの度に俺は、収入のない学生の身分である自分を情けなく思う。
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以前から、何かアルバイトをしようとは考えていた。
一度だけ、その話を優香にもしたことがある。
「優香…俺、アルバイトしようと思うんだけどさ…」
「暇なら、うちにいれば?」
…その日以降、優香にアルバイトの話を持ち出した記憶はない。
その代わり、俺には休むことのできない仕事ができた。
学校から帰ってきた優香に「おかえり」を言うこと。
報酬は……そんな優香が口にする「ただいま」の一言。
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「たまには、自分の服にもお金使えばいいのに…」
突然の切り出しに、俺は思わず自分の服装を見直してしまう。
「…この服、変かな?」
こわごわ訊いてみると、優香は目を逸らして横顔を髪で隠し、
「彼女とかできたら、必要になるんじゃない…?」
言葉と同時に蹴られた石ころが、小さなカーブを描いて
桜の木の根本に落ち着いた。
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「なら、当分は必要ないかな。彼女ができる予定もないし…」
この時は本当にそう思っていたんだ。
少なくとも俺が『彼女』と出会い、
そして優香が『あいつ』のことを笑顔で話し始めるまでは……。
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「…じゃあ、妹の前でお洒落でもしてみれば?」
そう言い残し、優香は公園の桜の木に背を向ける。
俺はそんな彼女の後ろ姿に向け、
「だったら…」
…この時はまだ、俺にも優香にも恋人なんていなかった。
これからもずっと、こんな関係が続いていくと思っていた。 |
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「…………」
…優香はどんな顔をして、俺の誘いを耳にしていたんだろうか?
彼女が振り返ってからも、そんな妹の表情が気になっていた。
「…部屋に帰って寝る」
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歩き始めた優香に続き、俺も傍にあった桜の木へ背を向ける。
公園を出る直前、一度だけ後ろを振り返った。
そこは、俺と優香が初めて出逢った場所。
一本の桜の木から共に歩き始めた、妹との十数年――。
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